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ウオダイの歴史

 熱田港(現在の名古屋市熱田区木之免町「きのめちょう」から大瀬子町「おおぜこまち」一帯)で仕入れた魚を近隣の家庭に大八車で引き売りする事から始まる。初代・加藤代吉の名前にちなみ、魚屋の代吉ということから「ウオダイ」という屋号とした。

 戦後間もないこの頃から、「お客に安く売る。それがウオダイの商いだ。」と初代・代吉は公言。安く魚を仕入れ、それを最小限の利幅で売る。
創業間もない頃、大福帳の表紙に自分で書いた営業方針は、「安く買えたら安く売れ、高く買っても安く売れ。」
これは現在のスーパー「ウオダイ」にもそのまま引き継がれている。

 大八車での営業で蓄えた資金を基に、住まいを改装し店舗を構える。と同時に、客からの要望が多かった仕出しの仕事を始める。
現在の250円弁当をはじめとする、「ウオダイ」の惣菜販売への礎となる。


 昭和29年、加藤孝夫が二代目として家業を引き継ぐ。復員しウオダイに戻るとすぐに、戦時中の軍隊所属時に培った野菜の目利きの力を基に、野菜を扱う事業展開へと着手。市場や問屋から野菜を仕入れ、大いに売った。

 店舗を大幅に拡張したり、支店を増やすなどの融資話を一切受け付けず、内部留保の充実と社内体制の整理に専念。二代目は、家族と社員を守ることを第一としていた。

 二代目自ら三河や知多の醸造元に赴き、仕入れた味噌や醤油の計り売りも開始。20坪に店舗を拡張、お客に愛される地域で一番の八百屋となる。

 後の三代目となる、加藤千博(現・代表取締役)ウオダイ入社。「魚」「野菜」に「肉」のラインナップを加えるべく、2年間を大手スーパー勤務にて修行。「肉」を必死に勉強するとともに家業から企業への変革を決意する。

 30坪へ店舗を拡大。それまでは家族だけで切り盛りしていた店が、パートを10人雇うほどまでの規模となる。昭和63年には総勢30名での下呂温泉へ初めての社員旅行を行った。


 平成9年、当時の熱田本店から車で10分の瑞穂運動場近くに2号店である瑞穂店(現店舗)をオープン。
オープン前に試算した売上げ見込みを下回る日々が続き、それまでの月次黒字続きの日々から、少しずつ赤字月を出すようになる。

 平成13年、加藤千博(現・社長)が三代目として社長に就任。

 平成19年、瑞穂店直近に大型店舗が進出。3号店の「神宮店」をオープン。
しかし、神宮店直近にも大型店舗が進出してくる。同時に本店の売上げも衰退。瑞穂店のみ残し、本店、神宮店からは撤退した。

 平成20年、ウオダイ最大の危機。売上げが前年比30~40%まで落ち込む。
リーマンショックによる消費の冷え込みも影響し、赤字に転落。様々な販促手法やイベントを模索するが改善はしなかった。


 平成20年、春日井市に立地するとあるスーパーを視察。あまりの繁盛ぶりに衝撃を受け、この店と同じ経営手法に舵をきることを決意。

 平成21年2月、前代未聞の閉店セールと開店セールを同時開催。
「生まれ変わるために損をしたい」「新しく生まれ変わったウオダイをご覧ください」これが当時のキャッチコピーだった。
豆腐1丁38円、うどん1玉18円といったように、生鮮品は他店より20%以上安く販売し、ボリューム満点の「250円弁当」も販売。
想像を絶する「超・激安スーパー」へとウオダイは生まれ変わった。

 「1個で100円儲けるのではなく、1円の儲けを100個作る」という発想に転換。
競合店のように、ひととおりの品揃えをすることを捨て、圧倒的な数量を仕入れ、驚きの安さを実現する、特売比率100%を目指す、1品単価を下げ、買い上げ点数の多さで勝負する、これがお客の喜びへ繋がると確信し、店づくりへと繋げていった。

 テレビ東京系「ガイアの夜明け」より取材依頼が来る。1ヶ月に渡る長期取材を受け、「デフレと闘う!スーパー特売品の攻防」という特集で全国放送される。
メディアの影響はすさまじく、お客が殺到。ほどなくして目標であった、月商8,000万円に到達。翌々月には1億の大台を超える。

 平成23年、経営基盤を整えるべく経営計画作成に着手。

 平成24年3月、初の経営指針発表会を開催。スタッフ55名全員参加はもとより、20名近くの来賓も招待。代表・加藤千博により経営方針を発表。

現在に至る。


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